子育て

子どもに圧倒的に好かれるパパになる子育てのコツ!子育てに命を懸ける!!

子育てに命を懸ける覚悟がありますか?

僕は子育てに命を懸けています。

「こんなに赤ちゃんに好かれたパパはめずらしい」と保健師さんに言われ、

「こんなにお子さんに好かれているパパはめったにいない」と保育士さんに言われ、

「ママじゃいや、パパがいい」と息子に言われています。

これは偶然ではなく必然です。

上辺だけの子育てで子どもから好かれようなんて甘いです。

想いだけで奥さんを助けられるほど子育ては甘くないです。

僕の子育ては、28年前、自分が3歳のときから始まっています。

この記事は、家族に人生を捧げるパパの始まりのエピソードです。

※内容は幼少期の振り返りです。お前の過去に興味ねーよって人は今すぐページを閉じましょう。時間の無駄です。
※3歳の子どもがどんなことを考えているのか一例を知りたいパパ・ママには役立つかもしれません。

3歳の幸せ:大好きな家族と過ごすこの幸せが毎日続けばいいな

4人家族の写真

今の人生を歩むきっかけとなったのは、3歳の時に経験したある出来事です。

3歳のときの記憶なんか覚えているのか?という声が聞こえて来そうですが、

3歳頃までの記憶を覚えている人もいるとドイツの研究で結果が報告されているので、

あながち間違いとは言えません。

僕の1番古い記憶は、幼稚園に入る前の3歳のときのものです。

家族は、公務員(教師)の両親、姉、おばあちゃん、曾祖母の6人。

敷地は1300坪、11LLDDKK(2LDK+5LDK+4Rの木小屋)の家で育ちました。

お隣さんとは数十メールと離れており、会う機会はほとんどありませんでした。

3歳の僕にとって、世界は6人の家族と自分の家だけのようでした。

当時、まだ幼稚園に入る前で、朝起きて今日は何をして過ごそうとワクワクする毎日。

大好きな折り紙やブロック、積木で遊んだり、晴れた日は庭を散歩したり、虫を捕まえたり、花を眺めたりと楽しい毎日でした。

大好きな家族に囲まれ、毎日好きなことだけをやるこんな毎日がずっと続けばいいな・・・

この幸せな日々は、ある日を境に突然終わりを告げます。

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3歳の絶望:僕は家族に愛されていなかったんだ

泣いている赤ちゃん

ある晩、いつものように寝る前に絵本を読んでもらっていました。

昼間は仕事をしている母と過ごせる絵本タイムが大好きだったんです。

この絵本タイムが僕にとって悪夢の時間に変わりました。

それは僕のある質問がきっかけでした。

僕はどんな赤ちゃんだったの?

この質問さえしなければ、家族を大好きなままでいれたかもしれない、と今でも後悔することがあります。

これが母の言葉です。

「泣き声がうるさくてゴミ袋に入れて捨てようとしたところを姉が止めてくれたのよ。」
「姉が泣いた時はパパも心配して見にいったけど、あなたが泣いたときはベッドに放置だったわ。」

僕は母の言葉を聞かなきゃよかった、質問なんてしなきゃよかったと自分を責めました。

この言葉を聞いて次のように解釈しました。

  • 僕は両親に愛されていないこと
  • 両親にとって僕より姉が大事なこと

このとき、それでも家族が大好きだという自分と家族なんて大嫌いだという自分がいました。

でも、大好きな両親にこれ以上迷惑をかけるのはやめようという思いから、この家族にこれ以上関わるのをやめようと決め、家族に対して心を閉じることにしました。

3歳の目的:1人は寂しい・・・誰かに必要とされる人生を送ろう

僕は家庭内で孤立しました。

有り余るほどの時間を使って、僕はどうしたらよかったのか、これからどうすればいいのかを考えました。

まず、自分はどうしていればよかったのかを考えました。

親に迷惑をかけずに済んだ唯一の方法は「泣かないこと」

赤ちゃんは「泣くこと」で○○をして欲しいと訴えかけます。

もちろん言葉は話せないので、「○○」は親に察してもらう外ありません。

しかし、親の言葉から考えると「泣くこと」が迷惑だったように窺えました。

つまり、赤ちゃんの僕が親に迷惑を掛けない方法は「泣かないこと」だったわけです。

これは現実的ではないです。

このことから僕は歓迎されていなかったのだと思いました。

子どもは親を選べない

親が勝手に産んでおいて、泣き声がうるさいってひどくないですか?

赤ちゃんが泣くことなんて産む前から分かり切っていることです。

当時の僕が親に言いたかったことがあります。

泣くのが嫌ならそもそも産むなよ。こっちだって、好きであなたの子どもとして産まれたわけじゃないよ。子どもは親を選べない。どうせなら愛してくれる両親の元に産まれたかった。

こんなことを考えましたが、言ったところで現実は何一つ変わりません。

だから、僕は自分の行動を変えていくことにしたわけです。

まず、「泣くこと」をできる範囲でやめました。

親に迷惑を掛けた原因を取り除こうと考えたわけです。

そして、残りの人生をどう生きるかを考えることにしました。

人生に正解はあるのか?後悔しない人生を送ろう!

僕が両親の元に産まれて来た意味はあるのだろうか?

考えても考えて答えは出ませんでした。

何かあるに違いないと結論づけて、他の問いかけをしました。

人生に正解はあるのか?正しい人生とはなにか?

もしも、人生に正解があるのであれば、その通りに生きれば幸せになれるに違いない、そんなふうに考えました。

しかし、正解がわかりませんでした。

なぜなら、人生が正しかったかどうかなんて人生を生きた結果わかる結果論にすぎないからです。

人生に正解はないが、人生を振り返ったときに、正しい人生だったと思えるように生きようと考えました。

僕にとっての正しい人生とは「誰かに必要とされる人生」を生きる

家族から必要とされない人生は寂しいなと感じていました。

必要とされる人生を送りたい!

必要とされるには、必要としてくれる「誰か」が必要です。

  • 誰に必要とされたいのか?
  • 確実に必要としてくれる人は誰か?

と考えた結果、僕は「子どもが欲しい」と考えました。

3歳の自分がそうであるように、子どもは自立した生活ができないため、親に依存するしかありません。

つまり、子どもなら自分のことを確実に必要としてくれると考えたわけです。

子どもが欲しいならパートナーが必要です。

  • パートナーに必要とされるにはどうしたらいいのか?

と考えた結果、人生の3つの行動指針を決めました。

  1. 優秀であること
  2. 誠実であること
  3. 頼りになること

まず、必要とされたり、期待に応えたりするためには、相応の優秀さが必要だと考えました。

人格がいくら良くても、適切な能力がなければ、相手の期待に応えることはできません。

つぎに、優秀であっても性格が悪かったら必要とされないだろうと思い、誠実さが必要だと考えました。

どんなに優秀であっても人を騙したり、ウソをつくような人を頼りたいとは思いませんよね?

最後に、パートナーを養っていくには、働く必要があり、仕事を任される頼りがいのある人であることが必要だと考えました。

家族を養っていくには、家族から必要とされるだけでは不十分。周りの人たちから頼られることが必要です。

こうして、パートナーや子どもに必要とされる人生を送ろうと未来に夢見ることにしました。

3歳の目標:20歳になるまで生き延びよう

ウミガメの赤ちゃんが海にでる画像

世界中で誰か1人くらい必要としてくれるパートナーがいるはずだ。

と思いながら、まずは生き延びることを目標にしました。

大げさなと思うかもしれませんが、割とガチです。

親に依存しながら生きる3歳児にとって、既に愛されていない状況下で、これ以上親に嫌われたりしたら死活問題なわけです。

終わりの見えない生活が続くのは耐えられなかったので、親に聞きました。

大人にはいつなれるの?

20歳で成人(大人)になるんだよと教えてもらいました。

大人になれば、親と一緒に暮らす必要はないと考えていたので、20歳までは何としても生き延びようと誓いました。

3歳の戦略:親に依存する子どもが生き残るための戦略

チェスゲームの戦略

未来のパートナー・子どもに出会うために、今の家庭で生き延びる必要がありました。

そこで2つの戦略を立てました。

親が敷いたレールを生きるフリをする

自分の人生は親の采配1つで変わる状況下です。

長いものに巻かれよということで、親のご機嫌取りをするために、次の3つのことを意識しました。

  1. 泣かないこと
  2. 迷惑をかけないこと
  3. 期待に応えること

既に書きましたが、「泣かないこと」はできる範囲で実践しました。

つぎに迷惑をかけないことですが、出掛ける時は親の歩くペースに合わせたり、

電車内で抱っこをねだったりすることなく過ごしました。

最後に、期待に応えることですが、人は見栄を張りたい生き物です。

親も例外ではなく、他の子どもより優秀であることを示すだけで機嫌がよくなるのがわかりました。

この3点を意識した結果、手間がかからず、聞き分けのよい子だったと、親からのコメント聞くことができました。

こっちは生き延びるために、親の機嫌を伺いながら生きてきたので、当然の結果です。

それから約20年後に親の期待を大きく裏切り、自分が敷いたレールを生きるために人生の舵を大きく切ることになります。

自分が敷いた人生のレールを生きる力をつける

親元を離れるまではいい子ちゃんを演じることにしました。

20歳で自立するために、どう過ごしていくかを考えたときに、決めたことがあります。

自分でできることを増やしていこう。

今、親と一緒に住まざるをえないのはできることが少ないからです。

全て自分でできるようになれば自由に過ごせると考えました。

まずはご飯を食べる必要があったので、ご飯作りから手伝い始めました。

それから掃除や洗濯などを1つずつ学んでいきました。

お手伝いをしてくれるいい子を装い、自立への力を確実に身につけました。

また、優秀になるために、優秀であることをアピールするために、2つの取り組みをしました。

1つは姉と同じ習い事をすることです。

ピアノを習い始めました。

親を好きだという自分もいて、少しでも親と一緒にいたかったこと、

親が可愛がった姉よりも才能があると客観的に証明し、

少しでも気に掛けて欲しかったことが理由です。

これは本心でもあり建前でもあります。

本音を言えば、才能の有無すら見分けられねーのかよ、見る目ないなと姉を可愛がる親への当てつけでもありました。

姉には絶対に負けないとガチで取り組み、ピアノの先生からは姉よりも飲み込みが早いという評価を貰いました。

コンプレックスが持つパワーというのは強力ですね。

もう1つは、「めばえ教室」に通いました。

同じ年齢の他人の子どもよりも優秀であることを示せば、

親の見栄を刺激でき、喜んでもらえる=安泰生活が確保しやすくなると考えたからです。

きっかけはスーパーの1Fでやっていた無料授業です。

先に始めていた子どもよりも先に問題を解き、

先生からすごいですねと褒められ、

後は親にもっとやりたいというだけでした。

めばえ教室に通い始め4歳になった頃、IQテストを実施。

IQは6歳半と同等(姉の年齢と同じ)という結果。

数値的に平均よりも優秀であることを示し、親のご機嫌取りに成功。

こうして自立に向けて力を身につけつつ、親の期待に応える幼少期を過ごしてきました。

最後に:家族に対しての思い入れは人一倍強い

ドリーム

3歳の頃から、自分の家族を持つことを夢見て生きて来ました。

家族に対しての思い入れは人一倍強いです。

奥さんや子どもに対してなんでそこまで尽くせるのか?と

他の記事を読んで疑問に思った方もいるかもしれませんが、

この記事に書いてあることが僕の人生の原動力そのものです。

奥さんと子どもとの生活は僕の夢そのものなわけです。

地位や名誉やお金よりも、僕にとって1番大事なのは家族です。

もちろん家族が望む幸せのために、地位や名誉やお金が必要なら、

それらを手に入れる行動をするまでです。

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